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古い常識の中で生きていた僕が、新しい常識を持てたワケ

こんにちは、たつです。

僕は古い常識の中で生きてきました。でも「古い常識の中で生きてきた」という事実は、比較対象がなければ見つけられません。

つまり、自分が「これは古い常識だ」と認識しなければ、古い常識の中で生きてきたことすら気づきません。

それに気づきもしないのなら、今も自分の中の常識は「この世界の常識」だと思っているんですからね。ある意味怖いかもしれません。

なんにも気づかずに「古い常識」の中で生きていくって怖くありませんか?

ある時気づいたら、周囲の人はみな「新しい常識」の中で生きていて、自分だけが「古い常識」の中に取り残されていたとしたら。

でも「新しい常識」ってどこから見つけて取り入れればいいのか?簡単に受け入れられるものなのか?そういった心持ちの話をしようと思います。

古い常識の中で生きていた

僕は子供の頃、ど田舎で生活していました。

「常識」ってどういう風に作られていくかというと、日々の生活から形成されていくものだと思っています。

子供の時の田舎暮らししか知らない僕は、当然のようにそれを当たり前と思い暮らしています。

ここで「常識」についての意味を調べてみると、

常識とは

ある社会の共同の知識と経験の総合的集積で,その社会の構成員はだれでも受け入れざるを得ないような自明性をもっている。その意味では,知識の一つであるが,直接的に与えられ,一般の人びとに受け入れられている意見の総体でもある。したがって,常識は社会体制の変化に応じて変化する。

引用元:Wikipedia

そうですね、受け入れて当然。それが毎日の暮らしになっているんですから。

父親からは、「大学に進学して公務員になれ」「公務員ほど安定した職業はない」と言われ続けてきました。

いい大学にはいり、安定した職業に就くっていうアレですね。

頭で納得できていたものの、「公務員にだけはなるものか!」と反発していたことだけ覚えています。

その後も普通に就職した職場は、今は古いですが殴る・蹴るが横行する中華料理レストラン。僕が出来ないから蹴られるんだと本気で思っていました。

働き方も今と全然違っていて、

  • 残業してなんぼ
  • 残業が多いのが正義
  • 他の人より多く働いているのがいい

 

こんな感じで、特に新人の時は「仕込み方」や「作り方」を体で覚えるために、サービス残業するのが普通。

という「常識」でしかなかった。

こんな生活を続けられたのもまた「常識」があったからなんです。

それは「真面目に働いていれば、いつかいいことあるさ。真面目は正義」という「常識」

でもこれは時代に合っていない「古い常識」だったことに気付かされます。

古い常識に縛られすぎていた

大人になって働いてみてから思ったことは、

「昔父親が言っていた公務員って、やっぱりいちばん安定したいい職業なのかな」と。「決まった勤務時間と安定した給料」は魅力的です。

ここでもまだ「古い常識」に縛られていますね。

ぶっちゃけた話、常識って簡単には変えられない。僕が住んでいた「小さな社会」の中の昔からの知識や経験が詰まったものを体感してきたわけだし、体に染み付いています。

考え方が「常識」から作り出されているわけですから、行動もまた「常識」に縛られていると言えます。

くじけずに真面目に働くことが出来た理由は「常識」に支えられていたから。真面目の何が悪い、いいことがこの先なかったら僕の人生釣り合わない。と思ってました。

それでも年齢を重ね、自分の人生のステージが徐々に変わり子供が出来てからは、今まで以上に「時間の使い方」を考える機会が増えていきます。

子供にはたくさん愛情を注いであげたい。より多くの時間を、子供と一緒に過ごしたい。こういう思いが日に日に膨らんでいました。

それをさらに加速させたのが、一緒に働いていたおばちゃんパートさん達の言葉です。

「子供が一緒についてきてくれる期間はすごく短いからね。」

子供が生まれてからこの言葉を色んな人から言われるわけです。

何十人ものパートさんから同じことを言われる。説得力アリアリ。

子供が離れていく前の時間って「とてもかけがえのない貴重なもの」

子供にとっても親にとってもそうだと思い始めたら、なんとかして同じ時間をよりたくさん過ごせないかと考えまくっていました。

新しい常識を得る場は大事

人が新しい常識を持てるのはいろんな要素が重なったときだと思うんです。何か一つの大きな出来事がまるっとその人の常識を変えるのではなく・・・。

長い年月をかけて築いてきた常識だからこそ、長い年月をかけて何度も揺さぶられないと亀裂は入らない。

僕はこう思います。特に高齢の人ほどそうなのではないでしょうか。若い人たちのほうが積極的に新しいことを取り入れたがるのは、常識がまだガチガチに塗り固められていないから。

そういう意味では僕の中の「常識」は、僕よりも若い世代に特に揺さぶられることが多いのです。

子供のためにも働き方を見直していきたいと思っていた僕は、検索してネットで稼ぐ人を調べている時期がありました。ネットの発信者の中には20代で稼いでいる方がたくさんいます。

この稼ぎ方で副業でもしかしたら月5万円くらいプラスにできるかな〜?と思い始めます。

でもちょっと「ネットビジネス」って怪し過ぎで正体不明だったので不安でした。

ですが、僕の中の「危機感」とネットビジネスの「非常識・不安」が何度も僕の「常識」を揺さぶり続けたから新境地に飛び込めたのかなと、今となっては思います。

非常識というのは

  • ネットビジネスでお金を稼ぐ
  • 個人でネットビジネスができる
  • 知り合いでもない人にお金を払って教えてもらう

 

僕の中ではこの3つでしたね。

知識がないだけ、実行したことがない、想像、これだけで不安だし僕には出来ないだろうと決めつけている部分は大きかったと思います。

ですが次第に「事実」として「非常識」が積み重なってくると、さすがに自分の中の「常識」を疑うところまでやってきます。

というか「常識」という言葉が適切ではない!

Wikiを見ても、常識はいわば「知識」「経験値」という言葉の方がしっくりくるんではないか?

あとは先人の知識や経験値を自分がどう感じるかだけの話で、「他の人がどう思っているのか学ぶ」と言い換えることもできます。

今までの経験値や知識で成功した事例が多くなれば、誰でもそのレールに乗りたくなるもの。これが常識ですよね。

常識それ自体は良くも悪くもないので、たくさんの考えをインストールして自分で考えていくのがこの先の情報化時代にはマストなんだと今は思います。

だから本でもツイッターでも活用していけばよりたくさんの常識を学べる。

新しい常識を得る場は自分で積極的に見つけていくべきです。

新しい常識を持てたワケ

古い常識を捨て去り、新しい常識を持てた理由

僕が新しい常識を持てたワケは、ロールモデルの存在です。

ロールモデルというのはすごく強い存在だと感じています。

めちゃくちゃ簡単に言うとロールモデルというのは、自分が理想とする生活をすでに送っている人のこと。

その人が、僕にもできると言ってくれたら・・・。もうできる気しかしないし、ぜひ目指してみたい!と思うんですよね。

これってロールモデル自体が名もなき個人だからこそ、僕でもできるって感じます。

ロールモデルがツイッターやブログで考えを発信している。それを見ることができる。その人の生き方や考え方を知識として吸収して、新しい常識として取り入れていく。

逆に言えばその人の生き方や考え方は、自分には理解できないところがあるくらいで丁度いい。先に理解するんじゃなくって、まずは取り入れて行動してみる。

常識を塗り替えるにはまず一度新しい常識に浸かる(行動に移して生活してみる)が絶対必要で、その経験値から自分で判断するくらいがいい。行動し続けていくのか、または違う常識に乗り換えるのか、どっちでもいいと思うんです。

その時に必要なのは一定のお金と勇気かもしれません。

それで自分の理想とする生活に近づけるのなら・・・、やるしかないな!と決意を新たにできます。

まとめ

新しい常識を取り入れられたワケはロールモデルの存在があったから。

理想の生活に近づきたい!と強く思った結果、脱サラ前よりも子供との時間を多く取れて、今しかない貴重なひとときを楽しんでいます。

  • 常識を疑う
  • 新しい常識を取り入れる

 

がほんとに見るべきことではなくて、自分の知識と経験値を増やして自分で判断できるようになるってことがほんとに大切なこと

どのレール(常識)に乗るかは自分で判断して後悔のないように進んでいきたいですね。

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